Mさんと碓井流活法と
2020年1月14日にMさんが天に召されました。まだ50代前半。
Mさんとの思い出については、個人的なことですので、自分の心に留めておくことかとも思いましたが、故人の思い出を共有する場としてブログに残すことにいました。
Mさんと初めてお会いしたのは、2010年6月20日。
活法研究会主催の入門セミナーの骨盤編でした。私が初めて参加した活法の本セミナーです。
これまで治療系のセミナーにほとんど参加したことがなかったので、ドキドキしていたのを今でも覚えています。
最初に参加者全員で自己紹介したのですが、当時の私は、お名前とその方の特徴をテキストにメモしていました。
そこにMさんの名前が記されています。確かMさんも初回の参加だったと思います。
私が大磯に住んでいると紹介すると、Mさんが「平塚に住んでいた」と話しかけてくれました。それが出会いです。
当時の活法研究会のセミナーは入門3編、基礎3編、応用3編がありました。
ここのセミナーは、再受講料が格段に安いという特徴がありましたので、私は何回もセミナーに参加していました。そこでMさんと会う確率が高かったです。たくさん練習しました。最初の頃は受講者が少なく、Mさんと私とあと1名の計3名で、講師が3名というある意味贅沢な時もありました。
当時は勉強会という制度がありませんでしたので、自主的にみんなで練習をしようということになり、池袋のMさんの治療院を使わせていただきました。私も2回ほど行ったと思います。
後々にMさんのことを色々と知るのですが、北大を出ていること、鍼灸マッサージ師として大先輩であること、専門学校で教鞭をとっていたこと、様々な分野で勉強されていると分かり、すごい人だと思いましたが、Mさんの気さくな人柄もあり、いつしか活法を学ぶ同士という気持ちを持つようになりました。特に、同期というのは縁を感じるのもので、Mさんは特別な存在でありました。
セミナーはどんどんと先に進み、それに伴い、参加しなくなる人もいる中で、いつもMさんがおりました。そして、一番最後のセミナーである応用・下肢編が終了したのが2016年5月。初めて参加してから、7年経過し、私もMさんも数少ないコンプリート組となりました。
そして、その年の活法研究会の伊東合宿。活法のセミナーは日曜-月曜の合宿型で、初日の夜は懇親会でお酒を飲みますが、翌日のことを考えるとお酒は控えめになりますし、初めて合う方も多いのでなかなか打ち解けないままお開きとなりがちです。
この合宿に参加したメンバーはほぼ全員セミナーを修了していて、付き合いが長い人たちばかりでした。初めての東京以外での合宿ということもあり、みんなリラックスしていたのか、学生に戻った頃のような本当に楽しい楽しい時間でした。私もかなり酔っ払ってしまい、少し記憶がなくなってるのですか、Mさんの意外な武勇伝を聞くことができて、さらに親近感がわきました。
しかも、遅くまで飲んだのに、朝からランニングにいくというパワフルさにも圧倒されました。私もフルマラソンを何回か走っていて、この頃はランニングの話をよくしていました。
久しぶりに合宿のことを書いた私のブログを見たら、楽しかった思い出が蘇りました。そして、リンクされている動画を見たらMさんも少し映っていて、寂しさが溢れてきました。
翌年の合宿でも、真剣を楽しそうに振り回していましたね。
(このブログの一番下にリンクしてある整動協会のブログにもMさんの写真がいくつかあります)
この合宿あたりから活法研究会は変革期を迎え、Mさんと活法をする機会はなくなりました。もしかしたらこの合宿がMさんとの最後だったかもしれません。
痛い系の技をMさんと練習すると何とも言えないおもしろい反応をして、そして、「気持ち良い~!」と喜んでいるMさんが印象に残っています。活法を受けるのが本当に好きなんだと思いました。
2018年5月に多発性骨髄腫であることを知りました。活法仲間で、活法のお祈り(のようなもの)を毎日午後10時に合わせて行いました。私は忘れないようにスマートウォッチのタイマーをかけていました。その時間は、ちょうど仕事帰りで、駅から家まで歩く途中にアラームが鳴りました。夜な夜な空に向かって祈っていたのを覚えています。
FBで近況を知るだけでしたが、その後、退院されたり、仕事に復帰したりと、良くなっているのなかと思い、ある時からその行為はしなくなりました。
今年になってMさんの最後(になってしまった)の投稿で、厳しい状況であることがわかりましたが、突然の訃報でした。
Mさんと同時期に活法を始めて10年近く経ちました。私は活法に出会って本当に良かったと思っています。今でも活法を続けています。そしてこれらかも活法を続けていこうと思います。
Mさんに出会えてよかっです。たくさんの勇気を頂きました。安らかな眠りをお祈りいたします。